. 白澤堂の理念と活動

思うに、現代の医療においては、複雑多岐にわたる社会情勢の転換、過酷な労働、文明発展に伴う特有器官の酷使や歩行と運動不足、情報処理の量と速度の増加、それらからもたらされる生活上の悪習慣やストレスなど、多くの要因から生じた現代特有の疾患が溢れており、単に画像診断や血液・生化学検査や病理組織学検査では捉えきれない愁訴が多くある。疾患名の数は細かいものまで合わせると、2万ほどあると云われており、それらの多くはまったく別個の疾患として扱われ、一個の生体に関する研究であるにも拘わらず、科によって個々の症例は個別に仔細に研究され、結びつきや一貫性が分かりにくくなり、専門性が高いが故に患者も何科を受診すればいいのか分からないという問題を抱えている。

 確かに、現代医学は多くの病変や症状に名前をつけ、その結果数々の疾患を分類整理し、その成り立ちを調べるために発生機序を生化学的に調べて細かく原因を特定し、それに対する特効薬や外科的処置を見つけて対処できるようになったことで、多大な恩恵をもたらした。例えば、胃酸過多による胃潰瘍には、胃酸分泌を促進する細胞上の受容体を競合的に拮抗遮断するいわゆるH2ブロッカーの投与や、我が国における死因第4~5位を占める肺炎を起こしうる複数の原因菌を抑える抗菌薬の投与、関節水腫に対して穿刺を行う、手術により眼圧を下げて緑内障による失明から救うといったようなことが挙げられる。これらの疾患は一見原因が分かっているようではあるが、なぜ胃酸過多になったのか、なぜ通常であれば治るような風邪なのに肺炎球菌や黄色ブドウ球菌が免疫で抑えられないほど肺で繁殖しえたのか、なぜ関節に水が溜まったのかということには答えていない。確かに原因となる要素は発見されたのであるが、なぜそのようになったのかの理解がないのである。関節に水が溜まるという例で言えば、関節水腫の本態は炎症によるものであると理解される。関節に炎症が起こる原因としては、外傷によるもの、変形性関節症、慢性関節リウマチ、痛風などが挙げられるが、なぜ炎症によって水腫が形成される必要があるのかという理解がない。もちろん、水腫自体は炎症メディエーターと呼ばれる化学物質による血管拡張と血管透過性の亢進によって血漿成分が染み出た結果ではあるが、どうして水様成分を損傷箇所に集注する要請があったのかという理由を考えず、安易に溜まった水腫を穿刺してしまうことに問題がある。ここで必要な理解とは、通常関節内では摩耗が起こらないよう相互の関節軟骨表面間に介在する滑液によって骨同士が直接接触しない絶妙の潤滑機序が保たれているが、関節機構上の問題や免疫機序によってこの潤滑が破綻すると内部で摩擦熱が発生し、この熱エネルギーを関節内の循環機構だけでは処理できないがために、液体を当該局所に集注することでできるだけ破壊の進行を食い止めようとしているということである。もし水腫を抜いてしまえば、関節液によって一時吸収されていた熱が処理できなくなり、機能破綻が促される可能性も考えられる。尤も多くの場合には、穿刺後再び水腫は溜まるため、進行が食い止められるのではあるが、問題の根本解決にはならない。やはり当該関節が変形や病変に至った原因が解決されなければならないのである。先に挙げた胃潰瘍へのH2受容体拮抗薬の投与の例についても、胃潰瘍は一時減ったがそれでもなくならず、近年胃潰瘍の原因はピロリ菌にあるとしてピロリ菌駆除を徹底した結果、確かに胃潰瘍と胃癌は確実に減少したが、それを実施した年から逆に食道がんが急激に増加しているという研究結果がある。胃癌と食道がんはどちらも癌に違いないが、食道がんは非常に悪性であり予後が悪く、患者の苦痛も甚大である。ピロリ菌は確かに人によっては胃潰瘍や胃癌の原因にはなるが、世界的な人種においても昔から人類と共存してきた菌であり、必ずしも悪さばかりしているわけではないようである。それをモグラたたき式に、勧善懲悪的な思考回路で単純に駆逐してしまい、それがなぜそのようになっているのかという内容を吟味することなく、開発された薬の利権だけが優先されて、そのまま使用され続けていることが現在の医療の問題点である。

 戦時中は、大量の虐殺と傷害、病気の伝染などにより、数千数万の単位で人々を一挙に救う必要があった。現代医学はそのような時代を背景に生まれた医学でもあるから、戦争医学と言ってもよいかもしれない。特に感染症や救急救命に関しては絶大な力を発揮する。昔なら必ず亡くなっていたであろう患者が、一種類の治療薬が開発されただけで、大量に救われるのであるから、すぐさま命に関わる病症においてはなくてはならない医療である。しかし、命に関わらないけれども、関節痛や頭痛、眩暈、胃腸症状、高血圧、アレルギーや免疫異常に対しては現代の医療を受けても著効がみられない症状もしばしばある。これらは初期には軽度な症状であるが、放っておけば生活を徐々に脅かし、本格的な疾患へと追いやる症候でもあり、慢性化すると難治となっていくため看過できない。冒頭で述べた様々な社会背景からくるストレスや不摂生による心身のバランスの乱れによって引き起こされる症候であり、個々人の体質や置かれた環境によって左右されるため、一種類の薬では対処しきれない。Aという薬が効く人もいれば効かない人もいるということである。上記の慢性的な症状では原因を叩くのではなく、対症療法的な処置となるため、Aという薬が効かなかった場合、BやCという薬が処方され、それでもよくならなければ他科にまわるケエスもあり、頻回の検査や服薬による副作用の侵襲が懸念される。ここでみえてくるのは、現代医療は体質や生活習慣といった個体差を考慮して処方を変えるという個別対応力が弱いということである。この点、代替医療と称される伝統医療は、単一の処方で大量の患者を救うことを手段とせず、昔から一人一人を対象に経験を蓄積して成り立った医療であるため、患者の体質や気質といった個別の問題を扱うのに優れている。そもそも、これらは代替医療と称されているが、もともと古きより受け継がれてきた医療であり、実際に現代医療の恩恵を受けているのは数でいえば先進国を中心とした世界人口の3分の1程度で、残りの大部分はその地域に伝わる伝統医療を受けているのであるから、現代医療や代替医療という名称自体が疑問である。

 現代医学および医療を否定するつもりはないのだが、マスコミに取沙汰されるような先端医療に目を奪われすぎてなのか、大切なことを見落としてしまっていると指摘したい。現代医学では、病気の解明に力を入れるあまり、病気になったところから話が進んでしまっており、「自然とは、生命とは何か」という問いから始める思考が欠落しているのである。ヒトは、自然の一部であり、自然との調和によって健康長寿を全うできるという基本に立ち返る必要があるのではないのか。病気になってからどう対処するかということよりも、病気にならないためにはどのように生きればよいのか、という予防や養生の観念も大切である。昔では「治三養七」と云われていたが、現在は「治十養ゼロ」くらいになってきている。「現代の慌ただしい社会環境では養生なんて考えている時間などないから、現代の生活にそぐわない古くさい考えだ」という声もあるかもしれないが、少ない時間を利用してランニングやヨガやスポーツジムに行ったり、サプリメントが売れたり、健康番組が人気を評したり、皆どこかで健康になりたいという思いがあることは確かである。いわゆる健康志向などという言葉が出てくることも、不健康を自覚するが故にではないのか。とにかく、自分の生活のどこが悪いから今このような症状に困っているということが分かれば、自分自身の生活に応じてカスタマイズした養生をすることも可能である。ランニングやヨガやスポーツジムへ行くのも、食事に関しても、どのようにすればもっと自分にあったやり方を見つけることができるのか。それを押し付けてしまうようなやり方はいけないが、心身の状態やバランスを把握し、問題を認識した上でオーダーメイドの養生を提示することで、問題解決に導いていくことが大切である。治療のフェイズにおいても、患者がなぜそのような病態になったのかということを現代医学的な視点だけではなく、もっと多様な視点でもって考察することで本態を捉えて治療を進めることを主眼に置き、自然や季節と人が調和することを意味する「天人合一」を目標に掲げ、それを実現するために、後に述べる東洋医学と整復という技術および哲学を主に駆使し、現代医療を受ける前の医療の根幹となる基幹医療機関としての位置づけを望み、ここに「白澤堂」という鍼灸院整復院を発足した。

個人の体質と自然や季節に応じた養生や治療が少しでも社会に浸透すれば、健康上の問題はもちろん、医療費や介護費の削減、医療意識改革といったことにつながる。そのために、「白澤堂」は、治療院の経営の他に健康教室や歩こう会、健康通信の配信などを行って普及していく窓口として機能を果たす。また、制限診療の中では真の療養施術はできないと判断するため、「白澤堂」を非保険療養機関とする。

. 白澤堂の屋号の由来について

かつて、世界中のありとあらゆる精魅(もののけ)について記した『白澤圖』という書物が存在したと言い伝えられる。この書名は、軒轅黄帝という中国の古代医学に精通した神話上の王が、中国全土を巡り東望山に登ったおり出会った神獣「白澤」に由来する。黄帝はこの白澤からもののけに関する膨大な知識を授かり民を精魅のわざわいから救い、また『白澤圖』を書いたとされる。

 この『白澤圖』の原文はないが、本場中国では唐代のころから白澤を描いた辟邪絵(邪悪なものを退ける力を持つ絵)が流行しはじめ、本国においても白澤を描いた辟邪図というのは多く残っている。

 白澤は、人語を解し話すことができ、1万1520種もの精魅や怪異に通暁していると「軒轅本紀」にある。ちなみに、この1万1520という具体的な数は、易経の繋辞上伝にある「乾の策は216、坤の策は144、全部で360、これは期(いちねん)の日に当たる。二篇の策は11520、これは万物の数に当たる」というところからきており、万物の数を表している。  鳥山石燕『百鬼夜行拾遺』の白澤

つまり、精魅や怪異とは人に災いをもたらす病魔や天災の象徴であり、白澤はそのすべてを知り尽くし対処できるということである。このことから、白澤を描いた絵は厄除けになると信仰され、中国の皇帝の護衛隊の先頭に「白澤旗」を掲げたり、日本でも各地を周遊する薬師などが道中のお守りとして身につけたり、病魔よけとして枕元においたりしたようである。

 白澤の姿は、人面牛身であったり、虎首龍身や龍首虎身、その他にも様々なヴァリエイションがあるが、日本における一般的な白澤のイメージは、牛の身体に人の顔、顔面と両脇にそれぞれ3つずつ眼がついた「九眼」で、背中に角があるという特徴的な姿がよく知られる。その典型的なものは、鳥山石燕が描いた『百鬼夜行拾遺』の白澤である。

 白澤は、黄帝を通して中医学とも関わりが深く、上述のような瑞獣であるからこそ、病魔や災厄を防ぐという意味で、治療院の屋号にも相応しい。また、「九眼」は、多様な視点で物事を見据えるという当院の理念とも合い、九という数字は陽数(奇数)の中の最大値であり、縁起も良く、瑞祥であるが所以である。さらに易と陰陽五行的な観点からいえば、白澤の「白」は五行で云えば金。「澤」も易の八卦で云えば「兌」にあたり、五行で云えば金。金というものは、内臓でいえば肺にあたり、「気」を司る。鍼治療において、金属である鍼を用いて患者の「気」を調節し治癒へと導くので、白澤は鍼治療とつながる。また、金の性質は剛健であり守護の意味があり、金は水を生じるために、最上のもの(上善如水)を意味し、邪気を祓い正気を扶ける。

 斯様な白澤を屋号に冠するのはいささか尊大に過ぎ、戦々恐々とするが、病気を抱える患者とそれと向き合う施術者双方の艱難辛苦を払うには、私個人の力では到底及ばないため、古来より信じられてきた神獣白澤の力を借りる意味もあり、屋号に「白澤」を冠し、白澤堂と命名した由縁である。

. 白澤堂のシンボル(ロゴマーク)について

 白澤堂では、治療と病気の予防を実現する手段の一つ目として、東洋医学の知識と技術を用いる。二つ目の手段を、「整復」の技術。三つ目を現代医学として、三本の軸(手段)を構成している。この3つの手段は、後に述べるように構造主義的な演繹の目によって行使される。よって、白澤堂のシンボルは、白澤の顔でもある三つの目となっている。以下に、東洋医学と整復について説明する。

. 東洋医学について

ここでいう東洋医学とは、主に中医学のことであり、鍼灸を中心とした医学を指すことを断っておく。東洋医学は広義には中国伝統医学(中医学)、日本における漢方医学、チベット医学、インドのアーユルヴェーダ、ユナニ医学などを含んだ総称である。また、中医学の中にも鍼灸治療、薬草治療(漢方薬)、按摩や導引などがある。

周知のとおり中国文化には古くから陰陽や五行、易の哲学思想があり、あらゆる分野に関わっていて、医学も例外ではない。先述した伝説上の人物である黄帝の他に、神農と呼ばれる炎帝がいたとされ、中国人は「炎黄の裔(えんこうのすえ)」と云われるほどである。炎帝とは、古代の人々に医薬だけでなく農業を教えたため、神農とも呼ばれ、農業をするためには自然の法則を知らなければならないため、一年の気候の運行の法則を理解するために、陰陽説、易、五行といった思想が発展したと考えられる。そのため、人々がまず生活上必要な農業を確実にするために、自然の法則性を見出し、哲学体系となり、医学にも応用されたのではないかと推測する。

 つまり、中国では天の運行も地の運行も人の運行も同じ法則が働いており、天人地三才が合一することを究極の目的としていることが分かる。これを「天人合一」の思想といい、現代医学のように物事を切り離して考えない。例えば、現代医学ではアトピーは皮膚に現れた疾患であるから、皮膚に問題があるとして、ステロイド薬で症状を抑える治療が主となる。中医学では皮膚に症状が現れたからといって、皮膚を直接治療するわけではない。皮膚に現れた症状は、枝葉の部分であって、根っこである病の原因は別のところにあると考える。患者も一人一人体力、体質、気質が異なり(個体差)、さらに生活環境やその時の気候にも左右される。原因としてはこれらの要素を加味して、どこに変調が起こったために、皮膚にアトピーの症状として出てきたと考えることが望ましい。同一の病名であれば、同じ原因として同じ治療を施す現代医学(そうではない場合もあるが)とはここが違うのである。身体の各部分はある程度の独立性をもちながらも、部分同士が相互作用するだけでなく、その根底に於いては全体に結び付けられ、全体の統御のもとにおかれ、また逆に全体は単に部分の寄せ集めではなく部分によって規制されるという相互関係がある。この全体性を生体の全機性と呼ぶが、中医学では整体観とも称する。もちろん、現代医学においても、身体諸機能が各器官から出される内分泌物質や神経系の作用が協調して働き、外界の変化に個体全体として対応する仕組みをもっていることは周知のことであるが、その程度の意味しかない。ここで云う全機性とは、各臓器、器官、組織だけにとどまらず、宇宙に存在するあらゆる事象は目にみえない関係性をもっていて、さらに深いところで多層的・多元的なつながりをもつということである。東洋思想では、万物は様々な様相を呈するが、結局は気という一つのものの変化によって成り立っているという気一元の思想が根底にあるが、気一元より発したものであるがために、それにより象られた森羅万象は多元的なつながりがあるとするこの考えは、後に解説する構造主義の考え方そのものである。老子曰く、一生二、二生三、三生萬物というのは、まさにこのことを示していると考えられる。

 白澤堂では、「天人合一」の思想を大切にし、患者の生年月日からその人が天から命を受けた体質を割り出し、発病した年運と照らし合わせ、患者の体質と年運が相関するようであれば運気病として治療し、相関がなければ季節の邪気によるものや個人の生活習慣などからくる問題として対処する。また、患者の体調が天地の気である季節の移り変わりに左右されない身体へと導くよう、問題のある部位だけではなく、体質自体の改善を主として、結果として主訴が改善していく治療を目指す。自然の気の変化についていけないのは、体質自体に問題があると認識するからである。ここでいう体質改善とは、主に内臓の気のことを指し、鍼灸によって内臓の経気(経絡という気の通り道)を通調することによって、内臓の働きを改善し、回復へと導く。内臓の働きのバランスが悪いと疾病状態となり、生理範囲を超えた時点で症状を自覚するようになる。可能であれば症状が出現する前に未然に病を防ぐことが望ましく、中医学では「治未病(未だ病まざるを治す)」が近年では有名な言葉ではあるが、そのためには本格的な疾病状態になる前に内臓の気の乱れを窺い知る必要がある。これを可能にするのが脈診という技術である。

 脈診とは、身体の動脈(特に手首にある橈骨動脈)に触れ、脈の流れ方や強さのアンバランスを診ることにより、ナビゲーターのごとく内臓の働きの状態を知ることができる。風自体は目に見えないが、我々は波の形や木々の揺れから、風の流れの状態を想像することができるのと同じで、気というものは目に見えないが、脈の打ち方から身体のエネルギーの強さやその流れ具合、気や血や津液といった身体の構成成分の増減、邪気と正気の抗争状況、主因となっている臓腑を予測することができる。脈診方法にも種類があり、各々特徴があるため使い分けることでより正確に判断できるため、白澤堂では複数の脈診法を用いる。具体的には、六部定位脈診、人迎気口脈診、頻湖学脉診、気口九道脈診、チベット脈診、インドのアーユルヴェーダの脈診、黄氏脈診、難経脈診である。この脈診に加え、尺膚(前腕腹側の皮膚)の状態、腹の状態、顔面の状態、舌の状態、声の状態などを診ることで四診合算し、患者の内臓バランス及び陰陽バランスの変調を整え、季節に応じた身体に戻し、自然治癒力を助けることを目指す。

五.整復医学について

 正常な位置から逸脱した関節を復する行為を整復と云う。関節の正常な位置とは、関節の生理的な位置を意味し、通常、生理的な関節同士の位置の範囲はある幅をもっており、生理的範囲を超えて関節が逸脱(ずれる)した際に症状を自覚するようになる。これは、関節に捻じれやずれが発生している状態で、この損傷の総称を“捻挫症”と云う。特に外傷(けが)により発生した関節の“ずれ”は、何年経っても自然に元に戻ることはなく、整復という手法が関節を元の位置に復元させる唯一の方法である。整復という行為に関する理論・技術を整復医学(Seifukulogy)と呼び、白澤堂の基幹手技の一つである。

 “整復”は厳密には、一般に云う“矯正”とは区別される。“矯正”も、関節を正常な位置に戻す行為ではあるが、この正常の意味するところは、“解剖学的位置”のことである。つまり、絵に描いたような教科書的解剖学的位置へと無理矢理当てはめようとする考え方である。この考え方では、ずれが生じた関節に対し、目指すところである解剖学的位置へと矯正する方向に力を加えることになるが、診療者の恣意(意図)が入るため、真の生理学的位置へと復元することが困難である。この点で、“整復”は個々に形状の異なる患者の関節に合わせて、真に生理学的位置へと復元することが可能であり、巷で云われる“矯正”とは一線を画するものである。

では、はたして真に生理学的な位置へと関節を復元することが本当に可能なのであろうか。“矯正”の概念のように、関節がずれた分だけ、ずれた方向に力を加えて元に戻せば確かに戻るのであるが、もともとあった関節同士がぴったり合うような位置に100%の精度で戻すことは、まさに神業である。関節が完璧に、寸分の違いもなく正しい位置に戻すことができたということは、どのように認識できるのであろうか。もし、わずかでも押圧の方向が間違っていたり、押しすぎたりすれば、関節を元の位置に復元することは実現されず、相当感覚の鋭い治療家でなければ、ここが関節の正しい位置であると認識することはまず不可能である。骨の数は小さいものもあわせれば約206個と云われ、それぞれが関節し合い、一つの関節の中にも凹凸がるため、それらの関節面を合わせれば、500~600個余りと推測される。これら関節面を完全に復するには、“矯正”のように恣意的に力を加えたのでは到底実現することはできないのである。“整復”では、関節相互面間に対して微量の圧力を加えることにより、関節同士が自然に正しい位置に戻ることを利用して生理的な位置へと復元する方法を採る。解剖学的に、関節相互面は硝子軟骨で覆われており、関節の周りは滑膜により囲まれ密閉空間となり、滑液と呼ばれる粘張性の液体成分が介在し、油圧機構を内包している。これらの機構が荷重時に関節内部に圧力流体を形成し、関節面同士の直接的な摩耗を防ぐ。この現象を関節の“潤滑”と称する。荷重により圧力がかけられた関節面同士は、この潤滑の作用により自然と生理的な位置へと滑らかに滑り込むことにより、自動的に正しい位置へと復元される。このように、診療者の恣意が入ることなく、高い精度で復元が完了するという点が、“矯正”とは異なる。上述した関節の構造自体は5億年前の古代生物から存在し、現在まで変わることがないため、整復行為は全身の関節において適用できる。そのために、ある程度はマニュアル化された単一の手法によって整復することが可能であるが、関節形状は個々人によってかなり異なるがために、知識と経験が必要であるという問題もある。そして、関節が本当に正しい位置に整復されたかどうかは、整復行為後の関節可動域の改善度合いによって確認できる。正しく整復された関節は、正常な関節可動域を取り戻し、72時間その状態を維持できれば、その後も戻ることはない。急性のものや、重度の損傷では関節内部の損傷も併発しているため、通常3週間とされる病理学的治癒機転を満たし、違和感をも含むすべての異常が除去できた時点で、整復完了となる。

 整復は全身の関節に行うものであるが、特に重要視される関節は、仙腸関節である。この部の損傷は、大きく分けて前方回転型と後方回転型の2種があるが、細かくみると現時点では11種が確認されている。特に、尻もちや膝を衝いての転倒などによる外傷(けが)を含むものにおいては、下半身の麻痺を引き起こす原因となるため、過去の損傷も含めて自然に治癒することは極めて少なく、蓄積し、人為的に整復されない限り損傷は徐々に進行し、未来に多大な影響をもたらす可能性があるため、無視できないものとなっている。外傷を除いたものにおいても、日常生活において、いわゆる不良姿勢の積み重ねによってもたらされたり、過度の労働や動作によって急性的にもたらされた仙腸関節のずれによっても、放っておくと上肢や下肢のさまざまな運動障害を引き起こしたり、内臓障害につながるため、火急的に整復処置されることが望ましい。仙腸関節自体が全身の土台であり、この部の異常が全身に波及するため、整復医学においても最も重要視される部位である。

 整復医学は、単に関節を正常に戻すということだけを目指すものではない。代替医療の1つに収まらず、今後の医療のファーストチョイスになることを目標としている。例えば、変形性股関節症を患う患者がいたとして、ゆくゆくは人工関節にしなければならない状態であったとしても、人工関節置換手術を行う前に整復を行う必要性を問うのである。股関節は、仙腸関節を形成する寛骨と連結していることから、仙腸関節の位置がずれていれば、股関節の位置もずれる関係にある。つまり、仙腸関節および股関節がずれたままの状態で、股関節を手術することになり、ずれが残存した状態に合わせて人工関節が入ることになる。当然患者の股関節はたとえリハビリを行っても可動域が狭いままに人工股関節が入ることになるため、置換後も股関節の可動域は狭いままである。術後たとえ良くなったとしても、その後の生活で仙腸関節のずれがひどくなれば、人工手術した股関節の状態と齟齬がおこり、再度他の部位の痛みに悩まされることもよくあることである。人工股関節を否定しているのではなく、人工股関節をつける前に、仙腸関節のずれを除去し、股関節可動域を少しでも改善させた状態で人工股関節を入れることができれば、予後がより良くなるのではないかと問題提起したいのである。このような形で、整復行為が社会に貢献できるものとして、白澤堂で実践し、広めていけるよう尽力する。

六.構造主義と演繹的思考について

 白澤堂のシンボルマークに象徴されるように、3つの目は、一つの物事を様々な視点から捉えようとする姿勢を意味している。構造主義は、フランスの人類学者レヴィ=ストロースが旗頭となり発展した思想である。構造主義という語彙の〈構造〉という意味は少し分かりにくいが、これは一言でいえば、主体の思考(視点)が変わっても、変化しない性質のことといってよい。〈構造〉の概念は、ヒルベルトの形式主義の運動のなかで育まれた。もともと射影幾何学などで用いられる現代数学の用語の一つであり、遠近法から発していると考えられる。遠近法では、三次元空間のものを二次元スクリーン上に写し取るので、本来交わらないはずの平行線が交わることになる。これが射影幾何学であり、もとの図形を研究する代わりに、図形がスクリーン上にどのように現れるかについて研究するのである。例えば、視点が移動すると、図形は別な形に変化する(射影変換される)。そのときでも変化しない性質(射影変換に関して不変な性質)を、その図形の一部に共通する〈本質〉のようなものという意味で、〈構造〉とよぶ。〈構造〉だけでできている図形などなく、〈構造〉は目に視えない。したがって、抽象的なものである。例えば、正方形~台形~たこ形~ただの四角形は、合同ではないのでユークリッド幾何学では別の図形になる。視点が移動するにつれ、スクリーン上では計量的性質は保存されないで変化してしまうから、4つの図形の共通点となりえない。では、正方形はほかにどんな性質があるかというと、「四つの線分に囲まれている」という性質がある。この性質は上述の四つの図形に共通している。つまり、視点の移動によっても、不変に保たれている。換言すれば、さまざまな変換操作を施したとしても不変である、そのもの自体に備わっている本質のことを〈構造〉というのである。いったん構造主義の洗礼を受ければ、それまで真理と思われていた事象が、主体の見方によってそう見えていただけのものであり、唯一無二のはずであった真理が解体されてしまうこともあるということである。

 例えば、柄模様の入った多色使いのハンカチは、見る人によってそれぞれ青くも、黄色くも、緑にも認識される。後にこのハンカチを見た人達が集まってどういうハンカチだったかという話をすると、なかなか一致したハンカチ像は浮かんでこない。「あれはハンカチだった」というところまでしか話が進展しない。中にはそれがハンカチではなく、スカーフや台拭き、布きれというふうに見る人もいる。つまり、見る人の視点によって違うのである。このように、物事を違う場から見るやり方を多元的な見方という。顎の話をする場合でも歯科医師が思い浮かべる顎と普通の人の思い浮かべる顎では全然違っている。同じ医師同士でも、科が分かれているため、臓器や器官に関する知識や研究対象、特に専門用語などが異なるので、別の科の学会などに行くと混乱する。こうした見方が階層(単次元的)主義で、一元化されていない多元的な視点を持つという上で非常に大切な見方であるが、難をいえばいろいろな階層の方向から物を捉えるので、何の事を言っているのか、何の話をしていたのか分からなくなってしまうこともある。この多元的、すなわち階層的な見方のことを構造主義とよぶ。したがって、一つのものを見るには、どういう場で見るのかという土俵を決めておかないと、いろいろな見方をされてしまうので、これには何か目標を設定するなり具体的に固有名詞を挙げて、何に関する話かきめておかないと、話が分からなくなってしまう。つまり、階層を超えた一つの軸(これが〈構造〉にあたる)を与えて、この話とその話はどこでつながってくるのかを示す必要がある(多次元的階層主義)。先述した見る人の立場によってハンカチが違って見えるという例と同様、沢山の研究で各種の論文が出てくるが、それらの論文が、往々にして専門を絞った研究者らが条件を統制するための小さな実験室実験であったりするが故に、何の脈絡ももたないことが多く、このまとまりの無さが多大なエネルギーのロスを生じてしまう。一生を費やした膨大な論文でもまとまる接点が出てこなかったりする。そこで、その接点を与えてやろうとするのが真の構造主義の考え方である。

 哲学および科学の思索方法は大きく分けて二つある。その一つは帰納法で、様々な個別事象を分析し元の形に帰納していく。大きくいって還元論である。この考え方は、いつの頃からか現代の科学の主流をなすようになった。還元論では研究対象が微細にわたって複雑な要素をもつと、ここに新しい法則が現れすべてを還元して簡単に帰納論で考えると検証主義といって、なんとなく実証されたように思ってしまう。例えばニュートンが万有引力を発見した時、それまでにあった考え方が覆された。それまでは、天上の星と地上の物体の運動は、別の法則が働くと考えられていたのである。星はいつまでも楕円運動をして地上に落ちてこないし、地上の物体は放物線を描いてすぐに地上に落ちてきてしまうからである。ニュートンの有名な逸話としてリンゴが木から落ちるのをみて閃いたとあるが、そのリンゴを宇宙まで持っていくとどうなるであろうと考えを拡張し、星の運動が、地上で落ちるリンゴと同じ原理で動いていることを証明した。そして、それ以来万有引力の法則は天上と地上の様々な物体の運動を説明できたため、長い間真理とされてきた。しかし、「どうもおかしい」と、おかしい部分を考えて行った人がいて、アインシュタインもその一人である。万有引力には宇宙のことや原子のことを考えるときには説明できない問題がでてくる。これだけが真理ではなさそうで、物が落ちるということで誰もが納得したのではあるが、納得したことが必ずしも真理であるとは限らない。帰納法によって導き出された結果は、ある領域ではスジが通るので真理であるかのように思えるが、少し見方を変えてしまえば通用しなくなることもあるということである。現在の一般医学の論理思考は、そこにあるものを解剖、分解し、形状の観察結果や化学的性状を微細に解析するが故に出てくる論文が膨大で、先述したハンカチの例と同じく一つ一つの結果が同じ基軸上で議論されないため(たとえば基礎医学と臨床医学では、基礎とその応用といった深いかかわりが薄れ、分離して研究されている)、さまざまな見方が混在し、でてきたものの結果が吟味されずに蓄積していくということになっている。ここで理解が必要なのはは、そこにあるものを前提にバラバラに話を始めるが故に多大なロスが生じるということである。さて、論理体系の中に、「ものを創造していく」という論理がある。人類のみならず動植物を含めた生命というものを、現在すでに有する機能を仮に創造しデザインするとしたならば、どのような構造、機構、内容をもちあわす必要があるのかという命題をたて、そこから思考を始めるということである。それが演繹で、演繹をするにはあらゆる情報を得なくてはならない。帰納されたものを一つひとつ吟味することが大切になってくるが、吟味するという作業が怠られてきた。演繹的思考では、帰納された結果をこの命題のもとに内容を吟味し還元していくため、例外事象が出てくることはない。個別事象があらゆる吟味に耐え、一つの命題のもと、例外なく完全に演繹された場合を「演繹確定」と云い、現代の医学にはまさにこの作業が欠落しているのである。論理ベン図を描くとその中の膨大な領域を占める演繹に対し、帰納論はほんの僅かしか有しない。ところが、演繹は殆ど使われていないで、我々は考え方のほんの隅っこの帰納法を使って全部を説明しようとする無理がある。現代は情報過多で、あたかも科学万能のごとき錯覚に陥りそうであるが、おおもとで大切な原理を失っている。ものごとを考えていくには対極にあるもう一つの考え方も踏まえて一つずつ進めていかねばならない。原生科学にはそれが二つともあったのであるが、現在の近代科学は、物事を小分けにして元のものを解ろうとする「分科学」であり、帰納論という側面だけしか有していない。

七.東洋医学の科学性について

 東洋医学には長い歴史があり民族医学とか、経験医学とかいろいろな呼ばれ方をしている。近代医学では、「どこの実験室でどういう条件でおこなった」ということを問題にするが、帰納論で還元するための小さな実験室実験(統制実験、シャーレ上の実験や、生物ではない死体による観察結果の解析)、小さなスパンの経験(experience)で今の現代医学から東洋医学をみて、「科学的でない」とはいえない。ただ、「帰納論的でない」とは一部でいえるかもしれない程度である。東洋医学の古典的な考え方の中には、陰陽五行説をはじめいろいろのものを創造し構築していくという演繹体系が残っている。大きな意味でいえば、この演繹体系に沿って、事象が帰納されていくという完全な科学である。