冷やすと悪い?その誤解と本質の話
「アイシング」や「冷やす」という言葉を聞いたとき、
中にはこんなふうに感じる方もいらっしゃるかもしれません。
「冷やすのは体に悪いんじゃない?」
「熱がなくなると、生命のエネルギーが止まってしまうようで不安…」
確かに、冷えは万病のもととも言われますし、命の象徴を「熱」や「温もり」に感じるのは自然な感覚です。
実際、「宇宙が冷え切ったらすべてが停止する」という“熱的死”の理論のように、冷たさを“死”と結びつけてイメージする人も多いでしょう。
でも、私がアイシングをおすすめする理由は、生命の熱を消すためではなく、守るためです。
熱には2種類ある
実は、ひとくちに「熱」といっても、それには大きく2つの種類があります。
ひとつは、体内に“蓄えられている”ような高純度の熱。
これは、糖や脂肪、ATPなどの形でエネルギーとして保存されており、必要なときに使える秩序ある熱です。
たとえば、走り出すときの筋肉や、脳の活動などに使われます。
もうひとつは、ケガや摩擦、炎症反応によって生じた低純度の熱。
これは、使い道のない“燃えカス”のようなもので、無秩序に拡散するだけの熱です。
体はこれを、汗や呼吸、排泄によって外に出そうとします。
つまり、「熱ければよい」「冷えていると悪い」といった単純な話ではなく、
何のために、どんな熱をどう扱うかが重要なのです。
アイシングは「使えない熱」を捨てる知的な操作
ケガや炎症があると、体は修復のために“仕事”をします。
このとき、必要なエネルギーと一緒に、どうしても余分な熱(低純度の熱)が発生します。
問題はこの“余熱”が長引くこと。
長く熱を持ったままにしていると、体を構成するタンパク質や脂質が変性して壊れやすくなり、
結果として修復が遅れたり、痛みが長引いたりするのです。
だからこそ、アイシングは重要な治療戦略です。
必要な部分だけを選択的に冷やすことで、
不要な熱を排出し、組織を「収縮系=秩序のある状態」に導き、
回復しやすい環境を整える。
これは単なる“冷却”ではなく、エネルギーの流れを整えるという、非常に合理的な操作なのです。
「冷やす=悪」ではない。冷やすことで守られる命がある
体をまるごと冷やすことは確かに問題ですが、
局所を適切に冷やすことは、生命力を妨げるどころか、むしろ支える行為です。
そのため、「冷える」ことと区別するために、余分な熱を排出する意味での「冷やす」を【冷却:アイシング】と呼ぶようにしています。より専門的には【選択的局所冷却】と呼びます。
生命とは、外界の変化に流されるのではなく、自ら秩序を作り出す“ネゲントロピー(負のエントロピー)”の存在。
熱の暴走によって秩序が崩れているならば、それを冷やして整えるのは自然な反応であり、生命の知恵とも言えるでしょう。
冷やすことは、止めることではありません。
むしろ、「前へ進むために必要な調整」なのです。
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